2013年01月13日
先駆者

自分の絵のストックが無くなりましたので、好きな画家さんのお話でもしようかと思います。
ウィリアム・ターナー
(Joseph Mallord William Turner)
1775年4月23日 -1851年12月19 日
イギリスを代表する非常に有名な風景画家さんです。
印象派の先駆けと言われております。
ターナーが活躍した時代は写真と見紛うような写実的な絵がアカデミックな評価に繋がっていたようで、
ターナー自身も当初は写実を重視したと思われる絵を描いておりました。
70歳近くになってから、大気と光を表現する試みに取り組むようになるのですが、
権威というものは兎角枠から外れるのを嫌いますからねえ。
写真のような鮮明な絵が評価される当時にあっては、
「ターナー先生どないしてん。あの人バケツとホウキで絵描いとんのとちゃうか」
と、その試みは非常に冷やかな目で見られたそうです。
俺が二十歳ぐらいの時に、たまたまテレビでターナーの特集をしておりまして、
それを観て度肝を抜かれました。
俺にもですね、
描けるようになりたいなあと思っている理想の絵が、
生意気にも在るワケですよ。
その理想の絵がですね、
ターナーがササーっと描いたであろうラフスケッチの中に、
何枚も何枚も有ったワケです。
もうびっくりしまして、
それ以来風景画を描いたコトがないです。
びっくりし過ぎたんだと思います。
「どうせ描いても、仮に理想の絵が描けたとしても、ターナーが先に描いてるからなあ」
という諦めみたいなのが、描こうという気持ちを無くさせます。
矢張多くの人にターナーの絵は衝撃と感動を与えたようで、
その作品は今尚沢山の人に愛されております。
後の印象派と呼ばれる方々にとってはパイオニアで御座いますね。
そんな絵が否定されバカにされていたという事実にも驚かされます。
やっぱり権威って人の眼を曇らせるんだなあと、素直に恐いと思います。
あたかも額の中にその空間が存在するかのような空気の存在感が殊見事と思われます。
ピカソも勿論そうなんですけども、写実的な絵って基礎なんですね。
基礎にしっかりと取り組んでこその発展なのかなと、偉大な画家さんの経緯を見ますと、そう思えて参ります。
70歳近くになってから新しい試みに取り組んだというのも驚きますねえ。
矢張単純に思うのは、
高齢になっても新しい試みに挑戦する情熱だとか上昇思考だとかを讚美する意見なんですけども、
当時の画家さんってパトロンが居ないとご飯食べて行けないじゃないですか。
十分な社会的評価を得て、生活が補償されてからじゃないと、
新しい事にチャレンジする事すら儘ならなかったのではとも推測致します。
ターナーぐらいの実績の有る画家でも、アカデミーの指針に添わなければ酷評されていた事実を思いますと、
若い内にやっていたら職を失っていたかもなと思います。
いいものをいいと判断するのは多分世間で思われているよりもかなり困難で、
ある意味では無責任な事なのだと思います。
責任の有る人間は守らないといけないものが一杯有りますものね。
今在る道を逸れる、新しい事にチャレンジする、というのは、
非常に難しい選択になると思います。
その難しい選択を、「賭け」でなくするために築いた安定した基盤、
それがターナーが過ごした六十有余年という歳月だったのではないかと俺は思います。
題材や描写の在り方が非常に限定されていた「絵」という表現に高い自由度をもたらしたその功績は、
後に多くの素晴らしい作品が生まれる切っ掛けとなったと思いますし、
計り知れないものが有ると思います。
人類史に於いてもナカナカのポジションに居られる方だと思われますが、
もっと単純にね。
この人の描く絵ってすげえなあと、
心奪われるのがとても楽しくて、面白く思います。
大好きな画家さんです。